2012年 05月 27日
一山
今日は下北沢のYOLにて、YTT(Yoga Teacher Training)のサーダナクラス担当。
「サーダナ」は「修行」と訳されたりしている言葉だけれども、クリパルヨガのYTTの中では、ヨガのツールを使って、自分自身だったり私たちの内にある神聖な部分と向き合う練習のことを指していて、私の受けたアメリカのYTTでは、朝と夕方にヨガのポーズや呼吸法を通した練習の実践が毎日行われた。
日本で行われているYTTも時間帯は違えどサーダナがある。
普段のクラスをしていてもやっぱりYTTのクラスっていうのは、なんだかきゅっと引き締まる。
これから教師となって日々目指している生徒さんに向けてのクラス。普段のクラスの様にリードはしていくけれど、YTTの雰囲気っていうのは、そこにプラスしてもう少し流れがディープである。限られたTTの時間で体験をどんどん深めていくということもあるし、受講されている皆の姿勢としても100%受身ということだけでなく、クリパルヨガの一クラスとしてどういった言葉選びをしているか、どんなシークエンスで展開していくのか、なども注意深く見ている人も多い。
この場所でいったい私に何ができるというのだろうか、と緊張して不安でちょっと胃が痛くなる。
なんだけど、それでも。少しずつだけど、ここ何年か毎回クラスを担当させてもらって、そして3週間前も一度担当して、ようやく、やっぱり一つのあることを受け入れ、それとともじょじょにいれる自分を感じる気がする。
「そうじゃない。私は私のままでいれば良い。」
今の自分でいること。自信がなくなって不安になる気持ちも。そこから変に作ったりカッコつけずにいること。
緊張するのもよくあること。当然ちゃ当然でもある。だから、まぁ緊張もするよね、そんな時もあるよね、とか思ってそんな自分を知っておく。
でもその緊張感をそのままにするんじゃなくて、じゃあ、そこに大して何ができるか?少し楽にできるように、努力できることはないか。
例えば、私の場合はしっかり必要な準備をする。
私は作り込みすぎると逆にそれに振り回されるので、適度にだけど。自分にとっても無理ない流れを組み立てておいたり、当日の流れによって時間配分が変わった際、それにどう対応できるか、などもできる予測は持っておいたり。
それと自分に期待しない。もちろん対して期待もされていない、ということをもう一度念頭に置いておく。後ろ向きな意味でなく、こうしなきゃ、とかでなく今持っているものと自分を信じてあげることで十分、心強くなるのだ。
でも、
それにはやっぱり普段から練習していること。普段していることや練習していることしかクラスにも出てこないし、安定した対応は出ずらい。
そして、本番、大事なのは、深呼吸して、緊張に振り回されないように心は中心に持っておく。
向かうことに準備や用意は必要だけど、必要以上に作り込むことはない。
自然であること。私でいられるような環境でもあるように。
今回終わったあと、
もちろん今後に向け改善点や自分にとっても課題となることは果てしなくあって視界の先は広いけど、
それ含めやっとこさ一つ自分を認めて前に進んだ気がする。
そして一歩一歩が時に厳しくも明るい。
いい機会をもらえた。
クラス後、とある受講生さんが、その日のヨガの体験をメッセージでシェアしてくれた。
それを観て、私は、一緒にヨガをしている方のヨガ体験をサポートできる場をつくっていけるようにこれからも努力を続けたいと思った。
ここ数ヶ月、ちょっと慌ただしくて色んなイベントやWSやTTなんかがぐるぐる回って色んなことを感じて実は、ちょっとヨガアレルギーになりそうな時もあった。
でも、今日サーダナをして、本当の自分はなんでヨガをしているのか、ヨガの意味、練習の意味を思い出すことができた。
ヨガしている、という表現はなんだか時にもどかしい。ヨガをしている私が私ということではない。毎日があって、ヨガからもらった良い教えをヒントにその生活が健やかにいられる。Yoga of life。最初に聞いたとき、本当にいいフレーズだと思った、ヨガをしている、というかは暮らしの中にヨガがある、そんな日々でありたい。私にとっての健やかな生活、というもので。うん、やっぱり私自身、私のヨガを実践して感じて、楽しんでいたい。
戻ってこれた気がする。自分をもっかい確認できた。
YOL近くのRainbow cafe。座ると落ち着くカフェでした。(人気でちょっと混んでるけどね!)
食べたマグロアボカド玄米ご飯がしみるーー。
「サーダナ」は「修行」と訳されたりしている言葉だけれども、クリパルヨガのYTTの中では、ヨガのツールを使って、自分自身だったり私たちの内にある神聖な部分と向き合う練習のことを指していて、私の受けたアメリカのYTTでは、朝と夕方にヨガのポーズや呼吸法を通した練習の実践が毎日行われた。
日本で行われているYTTも時間帯は違えどサーダナがある。
普段のクラスをしていてもやっぱりYTTのクラスっていうのは、なんだかきゅっと引き締まる。
これから教師となって日々目指している生徒さんに向けてのクラス。普段のクラスの様にリードはしていくけれど、YTTの雰囲気っていうのは、そこにプラスしてもう少し流れがディープである。限られたTTの時間で体験をどんどん深めていくということもあるし、受講されている皆の姿勢としても100%受身ということだけでなく、クリパルヨガの一クラスとしてどういった言葉選びをしているか、どんなシークエンスで展開していくのか、なども注意深く見ている人も多い。
この場所でいったい私に何ができるというのだろうか、と緊張して不安でちょっと胃が痛くなる。
なんだけど、それでも。少しずつだけど、ここ何年か毎回クラスを担当させてもらって、そして3週間前も一度担当して、ようやく、やっぱり一つのあることを受け入れ、それとともじょじょにいれる自分を感じる気がする。
「そうじゃない。私は私のままでいれば良い。」
今の自分でいること。自信がなくなって不安になる気持ちも。そこから変に作ったりカッコつけずにいること。
緊張するのもよくあること。当然ちゃ当然でもある。だから、まぁ緊張もするよね、そんな時もあるよね、とか思ってそんな自分を知っておく。
でもその緊張感をそのままにするんじゃなくて、じゃあ、そこに大して何ができるか?少し楽にできるように、努力できることはないか。
例えば、私の場合はしっかり必要な準備をする。
私は作り込みすぎると逆にそれに振り回されるので、適度にだけど。自分にとっても無理ない流れを組み立てておいたり、当日の流れによって時間配分が変わった際、それにどう対応できるか、などもできる予測は持っておいたり。
それと自分に期待しない。もちろん対して期待もされていない、ということをもう一度念頭に置いておく。後ろ向きな意味でなく、こうしなきゃ、とかでなく今持っているものと自分を信じてあげることで十分、心強くなるのだ。
でも、
それにはやっぱり普段から練習していること。普段していることや練習していることしかクラスにも出てこないし、安定した対応は出ずらい。
そして、本番、大事なのは、深呼吸して、緊張に振り回されないように心は中心に持っておく。
向かうことに準備や用意は必要だけど、必要以上に作り込むことはない。
自然であること。私でいられるような環境でもあるように。
今回終わったあと、
もちろん今後に向け改善点や自分にとっても課題となることは果てしなくあって視界の先は広いけど、
それ含めやっとこさ一つ自分を認めて前に進んだ気がする。
そして一歩一歩が時に厳しくも明るい。
いい機会をもらえた。
クラス後、とある受講生さんが、その日のヨガの体験をメッセージでシェアしてくれた。
それを観て、私は、一緒にヨガをしている方のヨガ体験をサポートできる場をつくっていけるようにこれからも努力を続けたいと思った。
ここ数ヶ月、ちょっと慌ただしくて色んなイベントやWSやTTなんかがぐるぐる回って色んなことを感じて実は、ちょっとヨガアレルギーになりそうな時もあった。
でも、今日サーダナをして、本当の自分はなんでヨガをしているのか、ヨガの意味、練習の意味を思い出すことができた。
ヨガしている、という表現はなんだか時にもどかしい。ヨガをしている私が私ということではない。毎日があって、ヨガからもらった良い教えをヒントにその生活が健やかにいられる。Yoga of life。最初に聞いたとき、本当にいいフレーズだと思った、ヨガをしている、というかは暮らしの中にヨガがある、そんな日々でありたい。私にとっての健やかな生活、というもので。うん、やっぱり私自身、私のヨガを実践して感じて、楽しんでいたい。
戻ってこれた気がする。自分をもっかい確認できた。
YOL近くのRainbow cafe。座ると落ち着くカフェでした。(人気でちょっと混んでるけどね!)
食べたマグロアボカド玄米ご飯がしみるーー。
by gshizuka
| 2012-05-27 23:45
| ヨガライフ